昨年の3月、私は会社を「自己都合退職」した。
(勘のいい人ならこの言葉の意味、わかりますかね)
その後、転職活動をしていたが、精神は蝕まれ「家に居るのが普通」の人間になった。
この生活ももうすぐ、1年を迎えようとしている。
退職後、時間は加速度的に過ぎていった。
光陰矢の如し。NEETナマケモノの如し。
今回は、今から3年前に遡り、内定が出る以前の話と、私が好んでいた、ある言葉について追究していこうと思う。
大学卒業間近の12月。
内定が出ていない私は本当に焦っていた。
そんな折、某就活サイトで見つけたのが、後に勤続1年を目前に退職することになる伏魔殿だった。
生業は福祉(保育と介護)の会社。
「~業は気をつけて選んだほうがいい」という知識は、兄より授かっていた。
この福祉についても、忠告は受けていたが、魅力的な業務内容に目が行ってしまった。
社会的弱者に手を差し伸べる、所謂「社会貢献の高さ」に私の心は動かされた。
まさに”社会貢献バカ”である。よく理解もせず、選考の際に使っていたのだからお笑いだ。
あれから約2年経ったが、今の私なら当時の私にこう言うだろう
「社会貢献ならバイトでもいいじゃん」
「子どもって、大人に仕事を与えてくれるから
間接的だけど、社会貢献してないか」
「そもそも社会貢献てなに」
当時の私の見解。(福祉の例)
「待機児童や特養の待機状態を
新規施設を開設することで削減し多くの人を救う。
新規施設を開設することで削減し多くの人を救う。
これが私にとっての社会貢献」
「なぜなら、社会的弱者は
誰か支える存在が必要であり~(下らないので割愛)」
そして、今の私は彼を唾棄する
「社会的弱者を守ることが社会貢献?なんで?」
「多くの人を救いたいなら民間じゃなくて
行政機関に入ったら?」
行政機関に入ったら?」
私は「社会貢献」という言葉が好きな人間だった。
そして2年後、片腹痛い【かりそめの言葉】 であることに気がついた。
それは、言葉そのものの意味が抽象的であり、なんら具体性を帯びていないからである。
私は、この晦渋な言葉をどこで拾ってきたのだろうか。
恐らくは、大学の講義・就職活動中あたりが濃厚だろう。
時代背景としては、リーマンショック・東日本大震災が起きたころだ。
経済的・社会的に大打撃を受け「今こそ助け合いの精神が必要だ!」と
《ガンバレニッポン!》《絆》を掲げていた。
行政だけでなく、国民においても援助しようという思想が定着していた。
そういった国内の未曾有の急迫した情勢の影響か、こんな言葉を言われた人も多いと思う。
「君たちは、こういった厳しい環境の中にあっても、
社会に貢献できるような人材になってください」 と。
当時は、そうなりたいと思って聞いていたのを覚えている。
しかし、よくよく考えると本義がわからない。
私の貧弱な脳内回路では、次のようなことしか思い浮かばない。
1.社会人への仲間入りを果たせ。(とりあえず働いとけ)
2.大企業に就職し、ビッグプロジェクトを手掛けろ。
3.公務員となり、国のために働け。
恐らく、答えは概ね「1」だろう。
このような誰もが当たり前に目指すことについて、どうこう言われていたのだ。
それを【なかなか素敵な言葉だ】と思い、ついには会社の面接でまで用いた。
私の無能ぶりが、はなはだ大笑いである。
そんな不可解なことを言ってる時点で、落選である。
少なくとも、もし私が採用担当で、こんなしょうもないことを面接で言われたら、頭の中で「落選」と思っていること間違いなしである。
今だから言えるということはあるが。
しかし、私が恥じたこの言葉を用い"社会貢献活動"なるものを行っている企業があるのだ!
私の"社会貢献"という言葉に対する知識・教養が足りないのだろうか!
次回は"社会貢献活動"なるものと、実際のところ何なの?まで述べようと思う。
ーつづくー
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