2014年1月23日木曜日

伏魔殿へようこそ・・・。The word "Contribution to society" is nonsensical


昨年の3月、私は会社を自己都合退職」した。
     (勘のいい人ならこの言葉の意味、わかりますかね)

その後、転職活動をしていたが、精神は蝕まれ「家に居るのが普通」の人間になった。

この生活ももうすぐ、1年を迎えようとしている。

退職後、時間は加速度的に過ぎていった。

光陰矢の如し。NEETナマケモノの如し。

今回は、今から3年前に遡り、内定が出る以前の話と、私が好んでいた、ある言葉について追究していこうと思う。




大学卒業間近の12月。
内定が出ていない私は本当に焦っていた。
そんな折、某就活サイトで見つけたのが、後に勤続1年を目前に退職することになる伏魔殿だった。

 生業は福祉(保育と介護)の会社。
「~業は気をつけて選んだほうがいい」という知識は、兄より授かっていた。
この福祉についても、忠告は受けていたが、魅力的な業務内容に目が行ってしまった。

社会的弱者に手を差し伸べる、所謂社会貢献の高さ」に私の心は動かされた。

まさに”社会貢献バカ”である。よく理解もせず、選考の際に使っていたのだからお笑いだ。


あれから約2年経ったが、今の私なら当時の私にこう言うだろう


「社会貢献ならバイトでもいいじゃん」

「子どもって、大人に仕事を与えてくれるから
間接的だけど、社会貢献してないか」

「そもそも社会貢献てなに」

当時の私の見解。(福祉の例)

「待機児童や特養の待機状態
 新規施設を開設することで削減し多くの人を救う。
これが私にとっての社会貢献」

「なぜなら、社会的弱者は
誰か支える存在が必要であり~(下らないので割愛)」 

そして、今の私は彼を唾棄する

「社会的弱者を守ることが社会貢献?なんで?」

「多くの人を救いたいなら民間じゃなくて
行政機関に入ったら?」



私は「社会貢献」という言葉が好きな人間だった。
そして2年後、片腹痛い【かりそめの言葉】 であることに気がついた。

それは、言葉そのものの意味が抽象的であり、なんら具体性を帯びていないからである。
私は、この晦渋な言葉をどこで拾ってきたのだろうか。

恐らくは、大学の講義・就職活動中あたりが濃厚だろう。
時代背景としては、リーマンショック・東日本大震災が起きたころだ。
経済的・社会的に大打撃を受け「今こそ助け合いの精神が必要だ!」
《ガンバレニッポン!》《絆》を掲げていた。
行政だけでなく、国民においても援助しようという思想が定着していた。


そういった国内の未曾有の急迫した情勢の影響か、こんな言葉を言われた人も多いと思う。

「君たちは、こういった厳しい環境の中にあっても、
社会に貢献できるような人材になってください」 と。

当時は、そうなりたいと思って聞いていたのを覚えている。
しかし、よくよく考えると本義がわからない。
私の貧弱な脳内回路では、次のようなことしか思い浮かばない。

1.社会人への仲間入りを果たせ。(とりあえず働いとけ)
2.大企業に就職し、ビッグプロジェクトを手掛けろ。
3.公務員となり、国のために働け。


恐らく、答えは概ね「1」だろう。
このような誰もが当たり前に目指すことについて、どうこう言われていたのだ。
それを【なかなか素敵な言葉だ】と思い、ついには会社の面接でまで用いた。
私の無能ぶりが、はなはだ大笑いである。
そんな不可解なことを言ってる時点で、落選である。
少なくとも、もし私が採用担当で、こんなしょうもないことを面接で言われたら、頭の中で「落選」と思っていること間違いなしである。
今だから言えるということはあるが。


しかし、私が恥じたこの言葉を用い"社会貢献活動"なるものを行っている企業があるのだ!

私の"社会貢献"という言葉に対する知識・教養が足りないのだろうか!

次回は"社会貢献活動"なるものと、実際のところ何なの?まで述べようと思う。

ーつづくー








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