ふてくされるレベルじゃない。ぶっとばしたくなるくらい。
私には一度だけあった。祖母が死ぬ直前のことだ。幸運にも看取りをした病院は、
日本でもトップクラスの大病院らしい。すべてコンピュータ管理されて、脈が止まり最期を迎えるまで、
日本でもトップクラスの大病院らしい。すべてコンピュータ管理されて、脈が止まり最期を迎えるまで、
医者は病室には入ってこない。最後の時間を家族だけで過ごせるのだ。
祖父はそれに対してかなり不満がっていた。その感情も当然のことだ。
私は初めて目の前で死に行く家族を見ながら、涙を流していた。押しつけがましいかもしれないが、
夫 子どもたち 孫 親戚 みなに涙を流されながら死んでいくのは最高の最期かもしれない。
桑田佳祐もサザンの最後のアルバムでそんなことを歌っていたな。
私は最後の言葉を祖母に伝え、止まらぬ涙を情けなく思い、背を向けむせび泣いていた。
ほかの家族が言葉をかけるのを横目で見ると 父は意外な行動をとっていた。
聖書を音読し始めたのだ!
私は父親に対して今まで感じたことのないぐらい怒りと混乱に陥った。
なぜ?聖書を?ここがキリスト教の病院だからか?
そこの棚に聖書が置いてあったから読み始めたのか?てめー!
そこの棚に聖書が置いてあったから読み始めたのか?てめー!
私は怒りを鎮めることに必死になった。本当に行動が理解できなかったのだ。
それと同時に何故ここまで自分が怒っているのがわからなかった。
それと同時に何故ここまで自分が怒っているのがわからなかった。
養老孟司先生がラジオかなんかでこんなことを言っていた。
「自分の家族の亡骸に対して、それを死体とはいわないだろう。」と、まったくその通りだ。
私の怒りはその禁句を破られた怒りに近いものだったのかもしれない。
しかしこれで父親との確執につながったわけではない。聖書を震えながら持ち、
低い声で静かに朗読しながら、彼もまた涙を流していたからだ。
低い声で静かに朗読しながら、彼もまた涙を流していたからだ。
数年の月日が経ち2012年、世間も家族もいろいろなことがり、まだ不安定さが蔓延していた。
私はそんか家族から逃げるように、一人暮らしを始めた。
私はそんか家族から逃げるように、一人暮らしを始めた。
しかしそこまで深刻なものではなく、時折実家には帰っていた。そんなある時、
母親から驚くべきことを聞かされる。父親が日曜日教会に通っていると。
母親から驚くべきことを聞かされる。父親が日曜日教会に通っていると。
そう彼はキリスト教徒だったのだ。驚くと同時に断片的な記憶がつながり、納得になった。
彼は大学もキリスト系の大学に進学していた。そしてアメリカに1年以上留学をしている。
私が知っている父親の若き日の概要。タバコも賭け事もしていたらしいが、
私が生まれるときにすべてやめたらしい。
彼はアメリカとイギリスを愛していた。男ならわかると思うが、父親の生い立ちを知りたいようで、
知りたくないのが息子心。
私が知っている父親の若き日の概要。タバコも賭け事もしていたらしいが、
私が生まれるときにすべてやめたらしい。
彼はアメリカとイギリスを愛していた。男ならわかると思うが、父親の生い立ちを知りたいようで、
知りたくないのが息子心。
ハリーポッターみたいになるのが嫌なのだ。
しかしなぜ、私たち子どもには同じように信仰させなかったのだろうか?
ここは憶測だが、家族の中で彼だけがキリスト教徒なのである。こんなことがあるのだろうか?
彼が独自に自分で入信したのだ。しかも時代的に、祖父がそれを快いと思うだろうか?
私が生まれる直前に祖父は亡くなったので、どんな人間だったのか顔も名前さえもわからない。
しかし自分の息子がもし宗教に自分の意志で入ったとき、どう言葉をかけるのであろうか?
そしてその息子が大人になったとき、自分の息子に意志を尊重させるのか、私にはわからない。
今まで一度もそんな話を聞くことはなかった。
しかし日本人の宗教感は人と人。増殖していくというイメージが付く。父親の思考が読み取れない。
今まであってきたどんな人間よりも。
それ以前に何故入信したのだろうか?
これには一つ思い当たることがある。彼はロックを愛している。
ジョンレノンに憧れているロックキッズだ。髪型もジョンレノンみたいにパーマをかけて
ジョンモデルのメガネをかけ、バンドも組んでライブもしているくらいにだ。
ビートルズしかり海外アーティストには神について歌っている曲が多く存在する。
今年出たポールの新作を見てほしい、3割の曲があきらかに神についての曲を歌っている。
レディーガガでさえそうだ。時にその円環から脱出したがったり、その中での無常を歌ったり、
感謝をしたり。神と”私”を謳うのだ。
彼らと人種も言葉も違う我々がその思想を引き寄せるためには、また分かち合う究極の方法は同じ、神を信仰することなのかもしれない。だとしたら私も少し憧れてしまう。
これはありなのだろうか?とにかくわからないことが多すぎる。
主観で触れる機会がなかったということだ。
さらに混乱することが起きる。父には弟がいる、そして何故だが仲がとても悪い。
どのくらい悪いかというと、
弟の息子たちは自分たちの祖母に約20年ほど会えていなかったぐらいである。
実家を出禁になるくらい険悪な仲だったのだ。
私はそんな事態になっていることを、薄々感じていたが、従弟達と祖母が再会できることとなってから実感してなんともいえない申し訳なさを感じた。さらに歌舞伎を見に行ったという点も胸を打った。
彼らは、祖母は歌舞伎が好きというイメージがあるのだが、私の知る限りもう10年以上
祖母は歌舞伎を見に行っていない。埋めることのできない時間の差があったのだ。
再会から帰ってきた祖母から驚くべきことを伝えられた。
従弟達は二人とも就職せず神父になる修行を受けているのだという。
なんと彼らもキリスト教徒だったのだ!
ますますこんがらがってきた。そしてこの歪みは祖母の死で直面することになるであろう。
一方は神の使い、そして私は何も知らぬ者
どちらがより(何に対してわからないが)説得力があるだろうか。
そして父もまた来年で60歳になる。老後だ。
死ぬ準備をする終活という嫌な言葉があるが、それを少し考える時期なのかもしれない。
無知であることは罪であるという言葉を文字通り体験してしまっている。
しかしこの多くの謎を持つパンドラの箱はきっと解明されることはないだろう。私にそんな勇気がない。ルークスカイウォーカーみたいになりたくないからだ。
葬儀はこうだとか、価値感とか倫理感の問題じゃあない。
ジョンレノンの歌にあるように、父がお墓に眠ったとき「いい人だったよ」と言うのだろうか。
そして仮に天国があったとして 私は 父に祖母に再会できるのか。
本気で私は父親を尊敬しているのだから。
そういえば今年亡くなったルーリードの曲にこんな歌詞がある
It might be fun to have a kid that I could kick around
Create in my own image like a God
I'd raise my own pallbearers to carry me to my grave
-Beginning Of A Great Adventure .1989
しかし自分の息子がもし宗教に自分の意志で入ったとき、どう言葉をかけるのであろうか?
そしてその息子が大人になったとき、自分の息子に意志を尊重させるのか、私にはわからない。
今まで一度もそんな話を聞くことはなかった。
しかし日本人の宗教感は人と人。増殖していくというイメージが付く。父親の思考が読み取れない。
今まであってきたどんな人間よりも。
それ以前に何故入信したのだろうか?
これには一つ思い当たることがある。彼はロックを愛している。
ジョンレノンに憧れているロックキッズだ。髪型もジョンレノンみたいにパーマをかけて
ジョンモデルのメガネをかけ、バンドも組んでライブもしているくらいにだ。
ビートルズしかり海外アーティストには神について歌っている曲が多く存在する。
今年出たポールの新作を見てほしい、3割の曲があきらかに神についての曲を歌っている。
レディーガガでさえそうだ。時にその円環から脱出したがったり、その中での無常を歌ったり、
感謝をしたり。神と”私”を謳うのだ。
彼らと人種も言葉も違う我々がその思想を引き寄せるためには、また分かち合う究極の方法は同じ、神を信仰することなのかもしれない。だとしたら私も少し憧れてしまう。
これはありなのだろうか?とにかくわからないことが多すぎる。
主観で触れる機会がなかったということだ。
さらに混乱することが起きる。父には弟がいる、そして何故だが仲がとても悪い。
どのくらい悪いかというと、
弟の息子たちは自分たちの祖母に約20年ほど会えていなかったぐらいである。
実家を出禁になるくらい険悪な仲だったのだ。
私はそんな事態になっていることを、薄々感じていたが、従弟達と祖母が再会できることとなってから実感してなんともいえない申し訳なさを感じた。さらに歌舞伎を見に行ったという点も胸を打った。
彼らは、祖母は歌舞伎が好きというイメージがあるのだが、私の知る限りもう10年以上
祖母は歌舞伎を見に行っていない。埋めることのできない時間の差があったのだ。
再会から帰ってきた祖母から驚くべきことを伝えられた。
従弟達は二人とも就職せず神父になる修行を受けているのだという。
なんと彼らもキリスト教徒だったのだ!
ますますこんがらがってきた。そしてこの歪みは祖母の死で直面することになるであろう。
一方は神の使い、そして私は何も知らぬ者
どちらがより(何に対してわからないが)説得力があるだろうか。
そして父もまた来年で60歳になる。老後だ。
死ぬ準備をする終活という嫌な言葉があるが、それを少し考える時期なのかもしれない。
無知であることは罪であるという言葉を文字通り体験してしまっている。
しかしこの多くの謎を持つパンドラの箱はきっと解明されることはないだろう。私にそんな勇気がない。ルークスカイウォーカーみたいになりたくないからだ。
葬儀はこうだとか、価値感とか倫理感の問題じゃあない。
ジョンレノンの歌にあるように、父がお墓に眠ったとき「いい人だったよ」と言うのだろうか。
そして仮に天国があったとして 私は 父に祖母に再会できるのか。
本気で私は父親を尊敬しているのだから。
そういえば今年亡くなったルーリードの曲にこんな歌詞がある
It might be fun to have a kid that I could kick around
Create in my own image like a God
I'd raise my own pallbearers to carry me to my grave
-Beginning Of A Great Adventure .1989
Mick Jagger God Gave me Everything
Crazy you said
It's all in your head
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