ジャズがアメリカに広まったとき、
「ジャズはそのグルーヴさが人々を洗脳する危険な音楽だ」と言った人がいたらしい。
時折これは悪魔が始めたのでは?と思うことがある。
それも快楽を刺激するもの。
友人とそういう“いかがわしい”店から出てきて少し溜息つきながら缶コーヒーをすすってると
いつもこう言い合う「あんな商売、人間じゃあ思いつかないぜ?ありゃ悪魔がはじめたんだ」と・・・
音楽もそうだ とりわけ体がリズムをとり出すあのグルーヴ感
ロックとは何?
つまるとこ私にはロックとはわからない。
ギターをかき鳴らすのがロックなのか激しさがロックなのか、悲しみや愛や平和を叫ぶのがロックなのか、全部ロックであり音楽だろう。最近ではロックは付加価値になりつつある。
アイドルにさえそれを付け足すことができるのだし。
(少し前だとつんく♂が作る曲にはBeatles等のエッセンスが含まれている。それどころかカバーアルバムも出している。)
ではB'zはどうだ?ご存じ元メガデスのギターリスト、マーティン・フリードマンはとある本でこう言ってる
「B'zがエアロのパクリなんて超失礼ジャン」とそのあとB'zには日本特有の歌謡曲の要素やら東洋の音楽趣向が入ってるとかべらべら書いていた。(最近は日本で作曲してるらしく、歌ってるアーティストにあきらかに彼が気に入っている稲葉氏や相川七瀬のような歌唱をさせている。)
確かにサウンドも似てる、アメリカやイギリスの影響をもろに受けてるだろう。
パクリと言われても仕方ない。
しかしまず考えて欲しい「B'zは日本人が演奏して日本語で歌っている」ということをこれが
決定的な違いであり特色ではないのか?
アーティストに対してリスペクトが無い、本当にそうだろうか?子どもの頃から聞いていた音楽が根幹にありそれをやりたいという気持ち(私は脳内PVだったが)にリスペクトは含まれていないのだろうか。自分に立ち返って欲しい。
自分の聞いてる音楽に自分はリスペクトや憧れがないのだろうか?
正直ちゃちいBeatlesの真似をPVでするのと同じことだ。
商売になるとロックとしての価値がなくなると意識しすぎている。聞き手側が。
アイドルのCDが売れるからってロックが衰退してるわけではないはず。
過剰に反応したり拒否をしたりする人もいるが(どっちに対しても)これだけは変わらない。
いや私含めて変えることはもうできないだろう。
No music No lifeならば今までの人生を否定しかねないからだ。
しかしB'zは今年に出たあのベストアルバム入ってる新曲でも堂々とツェッペリンのリフを弾くのだった。
一方で脈絡もなくビートルズ等の往年ロックナンバーをカバーして、
店頭に売り出してもらうジャパンロックスターもいるわけで。
元来日本は与えられ続ける側だプラスチックソウルが主流なのだ。
もはや真新しさなんてない。イギリスでグループで売れればビートルズの再来だと昔から言われ、
日本でもそう売り文句(向こうの音楽プロデュースでは常套句なのだろう)される世界だ。
しかし、だからこそ私は初めてB'zを聞いた時の「これだ!!(体を通り抜けた新しさ)」だけを信用する。
みんなもそうだろう?
ついにB'zイズムが?
日本音楽業界であることが起きている。spyairというバンドをご存知だろうか?
最近ではタイアップなどでよく耳にするだろう。彼らの曲で「0ゲーム」(新スパイダーマンの日本主題歌)に大抜擢されたものである。この曲を聞いてびっくりした。
B'z最大のヒット曲の一つ「BAD communication」に似てるのだ(笑)
曲構成も同じ(曲の頭に女性の語りが入るとこまで!)映像で見ると更に分かるボーカルの歌い方
(体の使い方)が稲葉氏のそれだった。さらに彼らは影響を受けたアーティストにB'zをあげている。
ついにB'zがお手本になる時代が来てしまったのだ!
BAD communication自体もツェッペリンのトランプルアンダーフットが元ネタというのが有名だ。
さらに彼らもこれは他のアーティストから拝借したと言うんだからつまりこのリズムとサウンドは40年以上の間人々を捉え新しさと快楽を提供してきたのだ。まさに悪魔のようだ。(最近の子が言う神曲ってのは大体、旬か追憶、この言い方は安っぽくてあまり好きじゃない。)
さらに言えばspyairはB'z寄りだ。またゴールデンボンバーもB'zが好きと公言してる。
不思議な現象だ。何故なら少し昔なら
何故か同じアーティストがB'zを好きと公言するのはある意味タブーとされてきた。
(B'zはいわゆる商業ロックの象徴であるとそんな彼らを好きと言うならば価値が下がる?なんにせよ勝手な先入観だ)
いまだにロッキンオンなんちゃらは頑なにB'zの特集を組もうとはしない。
(ローリングストーンズ紙はやったが)
私自身これまで芸能人でB'z好きと言えば、ユースケサンタマリア氏か松本人志の兄、
松本隆博氏(同性同名)、今年亡くなったマンガ家佐渡川準先生ぐらいしか知らなかった。
それがどうだろうB'zのストイックさがメディアに取り上げられ世に浸透していたという証拠だろう。
また直撃世代もステージに立てるようになってきたのだ。
(パフュームも好きとか言ってたな、逆に嫌いなものなんてないんだろうが)
またポルノグラフィティのB'z化が顕著だ。15周年らしく記念シングルを見てほしい。
鍛え上げた体に白のタンクトップ、その上に赤いジャケットを着て歌謡ロックを歌っている、
まさしくギラギラしていたB'zの頃をかさねられる。
またラジオでもB'zのストイックさには憧れると話していた。
あ、こいつ鍛え始めたなと思ったのはこの時だった。
余談だか、この時期私は派遣バイトでポルノグラフィティのライブの設営をしていた。
そうみんなやっぱりB'zの影響を受けていたのだ。
こうしたB'zイズムが入ってくると思うと音楽ってのは面白いと思うしやっぱり影響ってのからは逃れられないのだと思った。
だからこれからも日本のバンドにはリンキンパークしかりビートルズしかりB'zしかり
フランツフェルディナンドしかり(BAWDIESなんてまんまだろう)何かの素晴らしい音楽やスタイル
に影響を受けたものがステージに立つだろう。
しかし彼らを見て面白い感情が私に生まれた。「気にくわない」だ笑
エアロファンよろしくロッキンなんちゃらしてる人達の気持ちがわかったのだった。
これはMTV等で流れていた映像。本人達は一切登場しないが、色々なダンスの映像を倍速にして、
あたかもこのグルーブにノッてるような演出をしている。
自分たちのやりたい音楽と聞き手側の欲しい音楽(当時はディスコサウンド)を合わせたらこの曲ができたという。これが大ヒットし、様々なバージョンができるなど彼らの定番曲になった。
私が一番好きなのはもちろん4分バージョンのE.Styleだ。
ラブゲームと読む。B'zもそうだが、今までの90~00年代のJpopを総括したような、
どこか懐かしさまで感じる。歌詞をも。 DJがいるのがなんとも“今”らしい。
1stアルバムでマンチェスターのロックを呼び戻した彼ら。
2ndアルバムで彼らは再び英国ロックとブラックミュージックの融合を試みる。
しかしそれはレコード会社との不祥事や、マンチェスター出身バンドは短命という宿命ともとれる
メンバー間の軋轢により出遅れてしまう。
そしてこの曲を含むアルバムはLed zeppelinの焼き直しという皮肉な評価受けるのだった。
PVではツェッペリンと同じように様々な民族ダンスの映像を入れている。
まるで音楽が太古から様々な人種を動かしてきたかのように。
Franz Ferdinand No You Girls Never Know
マッドチェスターど真ん中を過ごした彼らの求めた音楽は、奇しくもB'zも目指した、
「女の子が踊れるロック」だった。PVのサイケデリックさも相まって洗練されてかつ、新しさを呼び込む。先日彼らのライブを最前列で見ることができた。文字通り狂ったようにグルーヴに酔いしれた。
伝説のアールズコートのライブこの倍速でプレイする感じが、なんとも臨場感たっぷりでたまらない
挙げた曲は私のCDラックおよびiPodに入ってるほんの一部だ。
あなたの素敵なプレイリストにもこの悪魔のグルーヴが紛れ込んでるかもしれない。
Talkin' 'bout love
Talkin' 'bout love
Talkin' 'bout love mama・・・
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